山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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司馬遼太郎原作による映画「関が原」 No675

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 この映画には私は大変関心があり、826日の封切り後7日目に府中に行き見てきました。最初に感想を述べると、この映画はその歴史的な背景を良く理解していないと、十分には楽しめないと思います。

この天下分け目の1600915日の1日の戦いは、秀吉が伏見城で生涯を終えたことに依り、後を継ぐ秀吉の子供である秀頼が幼少であり、その跡目を誰が継ぐかに懸かっていました。秀吉の朝鮮出兵は1592年からであり(文禄の役、慶長の役)1598年秀吉の死により兵を引きました。

この関が原の戦いはその2年後に全国の大名が参戦して戦われた、正に天下分け目の徳川家康と石田三成の戦いであったのです。私見では、それらを理解して映画を見るには、もう一度映画館に足を運ばないと、とても十分に理解出来るものではありません。

 映画の中では家康役の役所広司が実に上手い演技で目立っています。石田三成役の岡田准一は西軍の総大将として、他の西軍の将の支持が十分ではなく、戦いの中で小早川の寝返りと、毛利藩の軍勢が戦いを静観、さらには島津藩の動静等、絶対的な支持の無さが戦を決めました。

戦いの場面はかなり長く、多分、島津藩の敵中突破が大々的に出るかと思いましたが、それには全く触れていませんでした。西軍総大将の石田三成は各将の参戦を戦いの中で必死に呼掛けますが、各将はこれに呼応せず、西軍の83,200の兵と東軍の89,000が互角には戦えず、東軍の勝利に終わったのです。

 石田三成は自国の近江に逃げ延びますが、自害はせずに最後は自首して、京都の三条河原で処刑されます。映画の中では忍びの者の挿話が出てきますが、原作の司馬遼太郎の話の中に有るのでしょうか。私としては、あまり意味の無い挿話に思えます。

見た後の感想としては、確かに大作であることは認めますが、クライマックスを感じる場面はありませんでした。さて何点を点けたら良いのでしょうか。

再度、この映画を見直して、初めて点数を付けたいと思いました。


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by minoru_mogi | 2017-09-01 21:17 | 随想 | Trackback | Comments(0)