人気ブログランキング | 話題のタグを見る

山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

私の英会話ブラッシュアップの方法 No403

 以前に触れたことがありますが、私は大学時代に米軍の立川基地を中心にアメリカ人の中でアルバイトをして英会話の能力の向上に努めました。しかし、大変残念なことに百貨店に就職したことで、英語を使用する頻度は少なくなってしましました。
その頃、ドイツの労働団体の日本支部の3人の方と組合活動を通して知り合い、グループ企業の案内等の時にドイツ語を使用する機会に恵まれました。学生時代にウイーン少年合唱団出身の音楽家で、大学でハープを教えていたオーストリアの方と親しくなり、その折もドイツ語を話し親しんでいました。
 就職してから英会話の勉強に、私は自分なりの方法を考えてそれを実施しました。それは一流のホテルのバーへ行き、カウンターでカクテルを飲みながら外国人と話す機会を作るということなのです。
ヒルトンやオークラの中には幾つかのバーがあり、カウンターバーは必ず有りました。
そこでは仕事で日本に来たビジネスマンが、独りで飲んでいるケースが多く見られ、私は彼らの1つ離れた席に座り、頃合を見て話しかけます。先ず、どこの国からか聞いて、次に来日の目的を尋ねます。殆どの場合はビジネスで来ている人で、割合と気楽に会話を楽しむことが出来ました。暫く話を楽しんでから、「Have a good time in Japan」と言い席を立ちました。彼らはアメリカ人と西ドイツの方が多かったのを覚えています。
 昭和49年第一次石油ショックの真只中の1月に私は組合のヨーロッパ視察に出掛け、20日間に亘り20名くらいの団体で渉外役として参加しました。
先ず、西ドイツのジュッセルドルフのホルテン百貨店を訪ねました。そして社員用の施設を見せて貰いましたが、店員食堂が4人テーブルでゆったりとしていたのが印象的でした。次にパリのギャラリーラファイエット百貨店で人事部長より社員厚生の話を聞かせて貰いました。この時は日本人の通訳が時間に見えなかったので、私は通訳の役をすることになり、人事部長のフランス語を、若いフランスの女性が英語に訳し、私がその英語を日本語で話すという、面白いことになりました。
ロンドンでは石油ショックで停電の時間があり、街中は暗くテレビで「SOS」というキャンペーンが流れており、それは「Switch Off Something」の略であることが判りました。
そこではシンプソンズという百貨店で総務部長より話しを聞きましたが、当店は高額所得者をターゲットにしているとの話で、年収のポンドを言うので計算機で計算すると、約500万円」となり、桁が違ったかと何度計算してもその金額でした。
その金額は私の年収と同じくらいであり、後刻若い女性に月収を聞いて以外に少ない額に驚きました。その頃の日本の成長率は素晴らしく、年々給料が上がり続けていた頃で、今日の停滞振りとは様変わりの明るい時代でした。
その後も英語を使用することは少なく、どんどん錆びついてきてしまったというのが今の状況です。
by minoru_mogi | 2012-10-14 17:04 | 随想 | Trackback | Comments(0)