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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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学生時代下宿の思い出 No373

 私は学生時代に4回下宿を替えています。最初の青山からは、学校に近い国分寺に移りましたが、そのお宅は鶏をたくさん飼っており、食事が殆ど卵料理ばかりで2ヶ月位で替わりました。次に移った先は大学の正門前に近い青雲寮というところで、部屋数10数室の平屋の6畳の部屋でした。当時では6畳は学生の部屋としては広い方で、普通は4.5畳が標準でした。
学生時代下宿の思い出 No373_d0059661_21292380.jpg

 この下宿のオーナーは神田で古本屋を開いていたご夫妻でしたが、ご主人が軽い脳梗塞で歩行に困難があり、そこで国分寺へと移り下宿をやったそうです。ご主人は毎日リハビリで歩行練習を廊下でしていたものです。このおばさんが私に言ったことがあります。「茂木さん、大学では遊学すると言うのです」と言います。多分、部屋で本をよく読んでいた私に、学生時代は幅広く色々なことを体験して吸収することが大切であると言ったのだと思います。
私の部屋は一番奥であり静かな勉強向きの部屋でした。ところが、この下宿ではマージャンはご法度でしたが、何時の間にかそれを破って部屋でやる人が出てきたのです。
すると、下宿のおばさんが決然と下宿の廃止を宣言したのです。それには下宿人の中で、留年や卒業できないような学生を出さないようにとの親心からと思われました。
しかし、この宣言により私もこの下宿を出なければならなくなりました。急なこと故に直に次の部屋が見つからず、友人で東京に家のある人に一時一緒に住まわせてもらうことにしたのです。下宿のその後は学生を入れないで、社会人のみを受け入れることになり再開されました。
暫くして、下宿のおばさんから連絡がありました。私に元の下宿の部屋に帰っていらっしゃいとのことで、喜んで前の部屋に戻りました。しかし、他の人は誰も帰して貰えませんでした。
その後、先輩の学生会の議長をしていた先輩が、私に「隣の部屋が空いたのでお前はそこに移って来い」と言われ、それに従い吉祥寺の下宿に再度移りました。この方が実に勉強家で毎晩夜1時半くらいまで勉強しますが、朝は7時頃には必ず起きているのです。私も真似をしましたがとてもかないませんでした。この方の生活態度を少しでも真似たことで、今日の私が有るのも事実です。良い先輩に恵まれた事を今も思い出しています。
by minoru_mogi | 2012-02-17 21:33 | 随想 | Trackback | Comments(0)