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山歩きとそこで出会う花たちへの思い


by minoru_mogi
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 3月19日の暖かな日曜日、房総半島の先端の千倉まで春の花を見に一日観光のバス旅行に出掛けました。近ツーのバスで5人が手を繋いだマークが車体の横に見えます。

バスの運転手は50歳近くの体格の良い人でした。八王子のJR駅前より出て立川で他の客を乗せて全員で38名の乗車です。

私は実は房総半島には今迄一度しか電車で行った事しかなく、その電車の始発駅は両国でした。館山まで行って、野島崎の白い燈台までしか行った事がありません。そんなわけで千葉県を良く巡ったことはありません。

今回、東京湾を横切るアクアラインの海ほたるを見てみたかったのです。川崎より海底トンネルが続き湾内の中央くらいに海ほたるが有り、初めて見るのです。日本の海底工事のレベルの高さを感じました。


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また、そこよりの景色は素晴らしく、西側には雪の富士山の後方には南アルプスの白い壁のような山並みが望見されます。その上を羽田に向かう航空機が続いています。海ほたるを出て金谷で食事です。驚いたことにここから見える三浦半島は目と鼻の先でした。地図上ではもっと遠くにあると思いましたが近いのにはびっくりしました。千葉側は五井の石油コンビナートの高い煙突から、白い水蒸気が上がり、君津の製鉄所の高炉が目に入りました。

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本来の目的である千倉にやって来ると、案内の写真では一面が花畑と思いきや、道の駅のような「潮風大国」の前の区画のみが小さな畑に区切られて、キンセンカ、ストック、菜の花、矢車草、金魚草、ポピーなどが狭い区画の一面に咲き誇っていました。私は出荷用の花が1種類ごとに咲いているのを想像していましたが、それは外れてしまいました。帰路は日曜日で有ったためか、アクアラインが大渋滞であり大変遅れて八王子まで戻りました。

このバスの運転手さんは大変静かな安全第一の運転であり、惚れ惚れするものであり、私は彼に直接話しかけて「ありがとうございました。今日の運転は惚れ惚れするものであり、私が今まで乗ったバスで最高のものでした」と感謝の言葉を掛けてバスを降りました。

この運転手の方は多分今日の晩酌は美味しく感じたでしょう。しかし、その様な運転をして貰えれば他の人も感謝の気持ちを持って旅を楽しんでもらえると思いました。


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# by minoru_mogi | 2017-02-22 15:35 | 随想 | Trackback | Comments(0)

庭の梅ノ木  No649

 我が家の庭には会社の友人から貰ったピンクの花の梅の木があり、貰った時は50センチ程の高さでしたが今は根元の直径が20cmくらいであり30年程も経ちます。それを分けてくれた方は3年ほど前に癌で亡くなってしまいました。

梅の花は頭頂がピンクになってから花が咲くまでに10日以上掛かり、木全体の花が咲き出すまでには更に2週間は掛かるようで待ちくたびれます。

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その匂いが花に鼻をつけてかいで見ますと良く分りますが、以前の様に良く匂うとは感じられません。こらは私が高齢になり、鼻の匂いを感ずる細胞が能力が落ちた結果と考えられます。少々ガッカリしています。梅の花は紅梅が先に咲き出すようで、しかも濃いものが最も早く、だんだん薄い紅色に移り、次に白梅が咲いてくる様子です。

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屋外を歩いていると道の脇にイヌノフグリが空の色を移した様なブルーの小さな花を咲かせており、あたりに梅が咲いているとその傍に行って必ず匂いを嗅いでいます。

大寒のさなかですが春は着実に近づいており、今日は節分草の花芽が土の上にちょっぴりと出ているのを発見し、昨年より1週間は早い様子です。この様子では215日頃には咲き出しそうですが、今年はこの頃雨が少なく乾燥しているので生育に影響するのではと少し心配しています。


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# by minoru_mogi | 2017-02-04 21:19 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 先日、新聞の片隅に国学院大学の博物館にて火焔型土器展の案内が載っており、以前より友人からこの博物館は一度見る価値があることを聞いていたので、早速に見に行って見ました。渋谷駅より歩いて15分くらいで大学に到着しました。博物館は大学正門前の立派な建物の1階に有り、ありがたいことに無料です。

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中に入ると独りの方や2人連れの中高年の方が静かに見学しています。入ると直ぐに映像での事前説明が10分ほど有り、それを見てから次の奥へと行くと、そこには立派な40センチもの高さのある火焔式土器が一つ一つ独立して展示してあります。約8千年前から5千年前にかけての縄文中期の新潟県長岡市や南城町を中心に発掘された王冠型土器と火焔式土器が多数展示されています。
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また、常設の展示場では縄文や弥生時代の石器や青銅器、登呂遺跡の木製品などが多数展示されています。このかなり広さが有る博物館は主に縄文と弥生時代のものに特化している感じがありました。

 博物館を1時間程見て校舎の方に行くと、大学正門の大きな2本のヒマラヤ杉の林の中に、神社拝殿があり大学の由来が良く分かります。校舎は高層ビル1棟とその周りに管理棟、や教室棟、学生福祉棟などが大変落ち着いた雰囲気の皆立派なものでした。

その福祉棟に学食があり、そこで昼食を摂りました。最後に学生の行くカフェテリアへと行くと、学生達が沢山おり、その建物の南側の外にあるテラスの休憩椅子に座り、ゆっくりとお茶を楽しみました。


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# by minoru_mogi | 2017-01-26 17:31 | 随想 | Trackback | Comments(0)



 フランス南部のラスコーの洞窟には2万年前に住んでいたクロマニョン人が動物の壁画を沢山遺しています。この地の4万年前頃にはネアンデルタール人がおり、現在の遺伝子分析では、現人類の遺伝子の1.5%位の割合で影響していることが最近判明しました。

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        貝のアクセサリーを着けたクロマニヨン人

その後旧石器時代にいたクロマニヨン人は現在の我々ホモサピエンスであり、アフリカよりヨーロッパへと渡ってきました。

この2万年前前後は氷河時代であり、海面が今より120mも低かったのです。その頃の日本列島はユーラッシャ大陸と陸続きの状態でした。このクロマニヨン人は人類で初めて絵画という芸術を生み出した人々です。その絵画の対象は全部動物であり、彼らの狩の対象となったものです。彼らは芸術として書いたのではなく、別の目的だったのでしょう。

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壁画

この人達は暗い洞窟の中で動物の脂を燃やして、チームでほとんど実物大の動物の姿を描き着色もしました。そしてラスコーの石灰洞窟の壁や天井に多くの壁画を残しました。暗い展示場にはその模写の大きな画像が並んでおり、動物は色々で大変動きのある姿です。

バイソン、牛、馬、山羊、鹿、ねこ科の動物(ライオン、ヒョウ、か判明しません)などです。

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                    骨で作った針

この壁画は1940年に発見され、今は人が入れないように保護されておりフランス政府が模写をして世界の各国に貸し出しているのです。今回は日本がその会場です。

会場には思った以上の見学者が来ており、熱心に注視しています。なかなか素晴らし企画で、もう少しPRされればと思いました。


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# by minoru_mogi | 2017-01-13 20:05 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 毎年、新年の3日から5日の間に近くの大きな神社にお参りに行くことを恒例にしています。今までに行った所は明治神宮・富岡八幡・川崎大師・総持寺・本門寺・大国魂神社・高幡不動尊など、著名なところばかりです。

今年は何処に行こうかと考えましたが、九段の靖国神社に子供の頃一度行った事があり、それを思い出してここへ行こうと決めました。15日の北風の強い寒い日に、家内と2人で出かけました。

戦時中の昭和19年の小学校の1年生の折に母と共に靖国神社へ行ったのです。その時のことを良く覚えているのは、境内の展示館の遊就館に行くと戦闘機の乗員の座席が展示してあり、その後部座席に乗り込み、対空機関銃をいじったのを実に良く覚えています。

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 神社へは九段寄りの大鳥居から入り、大村益次郎の高い所に有る銅像を見て、次の鳥居をくぐり本殿へと向かいます。

寒い日にも拘らず参拝者はかなり多くの人々が訪れていました。本殿の参拝を済ましてから境内の奥にある遊就館へと向かいました。そこでは入口の脇に戦時中に活躍したゼロ戦が展示されていました。

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入場料を払い二階へ上がるとブロンズ製の大砲の筒が置かれてあります。説明によると家康が大阪城を攻撃した折に使用したものであるとの説明がありました。続いて展示場を見て行くと甲冑・兜・刀などの展示があり、明治初期に作られたこの展示場には場違いの感じがしました。

進むに連れて今回の戦争の資料が多くなり、陸軍・海軍。航空機・船舶・潜水艦などの資料と、何処の作戦で敗退したかなど、戦争の悲惨さを思い知らされました。驚いたことに西洋人の見学者がかなりいたことです。

私の身近では父の弟が予科練に居り、航空兵として戦死しましたが、私がいた横浜の家に来て父と一緒にお酒を飲んでいたのを覚えています。1時間半ほど展示物を見て回りましたが、近い内にもう一度独りでもっと時間を掛けて見に来たいものと思いました。


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# by minoru_mogi | 2017-01-06 17:37 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 この夏に百田尚樹の講談社の文庫本2冊の読み応えがある「海賊と呼ばれた男」を読み終えました。このドキュメンタリーの主人公の出光佐三が1代で築いた出光アポロ石油の苦難の歴史と、社員を一切解雇しないという店主(社長)の信念を貫いた会社の経営の物語でした。

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先ず、海賊と呼ばれた男とは、戦前門司で関門海峡で石油の販売を、小船に石油を缶で積み、航路を通る船舶に販売していた行為を見て、あたかも海賊のようなやり方だと評されたのが元になっています。

敗戦後、東京の本社ビルは焼け残りますが、そこに海外へ出ていた社員が沢山帰国してきます。その時に店主(社長)は全員を受け入れ、石油販売業の本来の仕事が無かった折に、GHQ後援のラジオ修理業を興して社員の仕事を確保します。また、一方では戦後海軍の石油タンクに僅かに残っていたタンクの底の石油を人力による汲み出す仕事を請け負い、苦難の石油関連の仕事を見つけました。

その後強大な国際石油会社に対抗して、イランが英国より独立し、イランの石油を英国が輸出するのを封鎖する中を、自社のタンカー日章丸を派遣して買い付け、英国海軍の封鎖の中をマラッカ海峡を通らずに、危険性の高いインドネシアのスンダ海峡を経て、日本へ安い石油を大量に輸入したのです。

現在、昭和石油と出光興産の合併の問題が進行していますが、出光家側が合併に反対を唱えているのは、やはり国際石油に組み込まれないように、日本の民族資本を貫きたいとの思いが見られます。

この映画が封切られて5日後の12月15日に私はこの映画を見て来ました。岡田准一の主演は好ましいもので、映画の一箇所のフィクションが気になりましたが、かなり完成度の高い良い映画でした。出来れば本を読んでから、映画を鑑賞することをお勧めします。


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# by minoru_mogi | 2016-12-24 14:56 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 12月の初旬になるとカエデの赤い紅葉は終わり、山のクヌギの黄色が目立ってきます。クヌギの葉は一度に落葉しないので長い間この景色は続きます。例年のように12月の初旬に静かなクヌギの森を歩いて来ました。

パラパラと落葉が続く森の中では、鳥の声もほとんど無くピイ・ピイというシジュウカラの声がやっと聞こえてきました。また、キツツキ科のコゲラがト・ト・ト・ト・トと樹を叩いている音がしてきました。

お昼の休みには高圧鉄塔の下で暖かいスープをを飲み、冷たいオニギリを2個食べました。下界の音は全く聞こえず、上を行く飛行機の音のみが聞こえて、ゆったりとその場に休んでいました。

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コースの途中に高尾山の薬王院がよく見える箇所が有りますが、そこへ行くと植林された杉の木が大きく伸びて視界をさえぎっています。止む無く山道を下り始めましたが、好ましい薬王院の写真をとる良い場所がありません。

うかい鳥山の近く迄きてしまいましたが、そこで午後の陽に映える薬王院が高尾山の上にと見える箇所へとやっと出会えました。

午後の陽射しの中に静かな森に囲まれた寺が見えています。あの人混みの薬王院がこの角度から眺めると静かなただずまいが感じざれて荘厳さを感じました。

静かな冬の好日でした。


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# by minoru_mogi | 2016-12-17 15:59 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)

 以前より昔の新橋の停車場の姿を見たいと思っていたところ、たまたま時間的に余裕があったので足を伸ばして見て来ました。私はこの場所は今でも貨物用のターミナルとして機能している場所であると思っていたのですが大違いでした。

新橋駅を出て東へ銀座通りへの方向へ5分ほど歩いて行くと、大きなビル群に囲まれた一角に小公園のような木の植え込みがある場所があり、その一角に古い二階建てのビルがありました。その建物に行ってみると、そこが1872年(明治5年)に完成した旧新橋停車場の場所でした。

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そのビルの南側には駅の往時のプラットホームが復元されており、そこには0哩標識が有りました。この建物では丁度日本の蒸気機関車の歴史の展示会をやっており、蒸気機関車の写真展というところです。ゆったりと時間をかけて各種の説明文を読み、機関車の模型に見入りました。
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さて、家への帰路は、近くに地下鉄大江戸線の汐留駅があるので、その駅を目指しましたが、地下の通路に入ると広々としており、方向感覚が無くなりやっと地下鉄の汐留
駅にたどり着きました。嬉しいことにこの地下鉄は都民でシルバーパス(70歳以上 年間20,500円)が有ると無料で乗ることが出来ます。新宿新橋間はJRで200円でありそれが只で乗れるのです。汐留から新宿へ出て、直接京王線で北野へと戻りました。

 このシルバーパスのお陰で私は家からバスに乗り都心へ良く出かけます。特に上野の国立科学博物館、国立西洋美術館、国立博物館は特定の催し以外では70歳以上は無料であり足繁く通っています。また都営地下鉄が無料であるので、大江戸線や新宿線に乗ることが多いのです。

その様な訳で、70過ぎの老人が外に出かけることは健康維持のためにも、刺激を得るためにも大きな意義があると思われます。おそらくシルバーパスの1年の20,500円を私は3倍近く利用しているでしょう。最高の利用は武蔵五日市駅よりバスで都民の森まで往復すると1,800円掛かりますが、これが無料なのです。

都民であって本当に良かったと思っています。


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# by minoru_mogi | 2016-12-09 20:13 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 関西の紅葉の名所である京都の三千院や寂光院はその季節に行き、紅葉を堪能しており、東福寺は新緑の折に行きましたが鞍馬寺や貴船神社はまだその機会がありません。

奈良では東大寺や興福寺、春日大社などは何度も見ており、かなり奥地の浄瑠璃寺や岩船寺、当麻寺も訪れています。

しかし、以前より行ってみたい所であった桜井市の談山神社へはまだ行っておりませんでした。そこで、今回の奈良旅行の折に、たまたま桜井市の大和八木駅近くのユースホステルで2泊したので、従来は3日目は卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳に行く最初の予定を変更して、時間は掛かるが是非とも見ておきたい桜井駅からバスで山の中に入る紅葉で有名な談山神社へと向かいました。

電車で桜井駅へ行き、朝9:10発の臨時の最初のバスに乗り、山間部に分け入り、長く続く杉林を抜けて山中の神社へと着きました。バス停から神社の入口は離れており、途中は門前の土産屋が続きます。

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 神社は全体が南向きで、山門を入ると急な100段位ある石の階段が真っ直ぐに登っています。その両側には紅葉したカエデが赤々と陽光を反射して光っています。この境内は3段になっており広い敷地には各所に立派な建物があります。この神社は日光東照宮の手本になつたそうです。

ここは藤原鎌足が祭られており、この山の山腹に墓所があります。最も高い所の御本殿のある近くに、木造13重の塔があります。高さ17メートルで檜皮葺きのもので、1532年に再建された重要文化財です。神仏習合時代の名残であり神社のシンボルです。

境内の庭にはモミジが沢山植えられており、美しく紅葉のピークであり、1本あったイチョウの黄色が目だっていました。約2時間を見学に過ごして、急いで桜井駅に戻り、更に奈良へと出て、楽しく充実した3日間の旅となりました。


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# by minoru_mogi | 2016-11-29 12:09 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 この111416日にかけて、奈良旅行に1人で行ってきました。私は奈良の地は大変よく知っており、殆どの寺社仏閣はすでに歩いており見てあります。しかし、近年になって発掘された平城京の遺構を見ていないことと、初めて今迄経験のないユースホステルに泊まってみたいというのが目的でした。

 JRの奈良駅よりは、小雨のぱらつく中を朱雀門へと1時間近く歩き、やっと草原の中にこつ然と聳える朱色に輝く朱雀門に到達しました。

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                       朱雀門
雨の中とあってか観光客は私一人です。この門より内側は宮殿部分であり、その最大の建物である大極殿ははるか北のほうに1kmくらい先に見えています。その間は何もない草地の空き地でした。その敷地はほんとに広大であり、南北1km、東西2kmというところです。そして今はススキの生えた原であり、そのススキは綺麗に刈り込まれていました。宮廷部分がこれほど広いとは思いの外でした。

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              大極殿

 大宝律令が701年(和銅1年)に制定され、710年に今までの藤原宮(694700)から、たったの16年で都の地がこちらへ移ってしまったのです。そして北へ20キロメートル程のところに平城京が開かれたのです。そして平城京は74年続きました。

その朱雀門の前には路面幅70mの朱雀大路が南に3.8km続き、そこには羅城門がありました。その道幅は普通の大通りでも24メートルありました。この国際的規模の都には、礎石柱に瓦葺や、唐風建物や桧皮葺きの和風住宅があり、1520万人の人々が暮していたようです。

 翌日は朝から大極殿を見て回りました。この王宮の建物は実に立派な二層の建物であり、高い基段の上に築かれ朱色に塗られており、王座がすえられています。屋根の上には左右に大きな鴟尾(しび)が飾られており、中央には金色に輝く金属の飾り物が載せられてありました。そこには小学生の子供達が見学に来ていました。

 藤原宮が何で16年で移ったかは謎で有るのですが、その建物の瓦などは平城京朱雀門にも再利用されたそうです。

この平城京は国の文化庁の元に復元工事が進んでおり、今日も各所で発掘が続けられていました。


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# by minoru_mogi | 2016-11-20 10:33 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 先日、新聞の記事の中にルースホステルのことが書かれてあり、昔若かった折に是非とも利用してみたかったのですが、時間とお金を山登りに費やしてしまい、ついぞ今迄泊まったことは無かったのです。

たまたま、奈良で是非に見たいところが有ったので、今回奈良近郊のこのあすかロードのユースホステルに泊まることにしました。奈良市内には大きなユースホステルがあり、200名収容ですが、そこでは食事が付きません。また、大変混雑しており、先々まで予約が取れません。そこで、近郊の大和八木にあるこのホステルにしたのです。

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                 ユースホステル「あすかロード」

そこは大変こじんまりした宿で、定員15名で4室あり、4人部屋23人部屋2の配分です。この宿は朝夕の食事が付いて、会員外の私が泊まって2泊してもたったの10,900でした。

 問題はその4人部屋ですが、若い人と一緒で楽しいものと期待して行ったのですが、あにはからんや、同室者は70代前半の男2人と30代の1人の若者でした。まるで、ユースホステルでなくオールドホステルです。やどの方に後で聞いたのでは、今は定年後の一人旅の男性が多く、若い人は少ないのだそうです。外国人の同室者がいたら楽しいと考えていたのですが、これも外れて日本人ばかりでした。

夕食のテーブルには70代の男3人と同年代の女性1人と若者で札幌から来た人の5人でした。他に食事を外でした人がおり、全部で男5人女2人の合計7人が宿泊していました。

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                 宿の近くの耳成山
 最近は宿泊者が大きく減ってきていると言います。2日目の夜は宿泊者が私ひとりとなり、食堂で鮭のホイル焼きと缶ビールで静かな夜となり、日本とサウジアラビアのサッカーに見入りました。

本来の目的の観光では平城京の朱雀門や大極殿、左保路、佐紀路を歩き、古墳や古寺を見て回り、3日目には、かねてから行きたかった奈良桜井の山間の奥地の談山神社のカエデの素晴らしい紅葉の中を快晴の空の下の元に堪能して来ました。


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# by minoru_mogi | 2016-11-17 12:57 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 江戸東京博物館の「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」と時を同じくして国立科学博物館でもシーボルトの収集した日本の植物・動物・鉱物の展示会があり、先日江戸東京博に続いて行ってきました。有りがたい事にこの博物館の常設展示場には70歳以上の人には無料なのです。大変得した気分でした。

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 先ずは彼の研究の目的であった植物の標本と、その植物を日本の絵師に描かせた詳細なスケッチ画があり、それらは必ず花の断面図や花柱、雄しべ、雌しべの位置等が細かく同じ画像に記してありました。彼は医師であると共に、新しい有用植物を見つけることも任務の内だったのです。

その植物採集をしている写真がありましたが、その採取に使う道具は今と全く同じで、金属性の長さ50cm、幅25cmの肩から掛ける「胴乱」(植物採集用のかばん)を使用していました。

日本の花々、特にあじさい(日本のみの植物)、百合の花、中でも鹿の子ユリ、鉄砲ユリ、すかしユリ、等は素晴らし絵が残っており、オランダでそれらのユリは大変な高価で取引されたそうです。

 動物はほとんど剥製にて持ち帰られており、往時の日本の技術は進んでいたものと思われます。鹿や熊、猪、狸、日本カワウソ、ムササビ、やネズミの種類までありました。

鉱石の標本では黄鉄鉱や他の鉱石が有りましたが、金鉱石や銀鉱石の標本はありませんでした。やはり彼は大学で医学の他に植物学、動物学を学んでいましたが鉱物学は学んではいなかったようです。楽しい科学博物館でした。


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# by minoru_mogi | 2016-11-09 17:17 | 随想 | Trackback | Comments(0)

孫達と高尾山へ No638

 私自身は子供の頃、幼稚園の年長組のときに、横浜から高尾山に父の会社三井物産の横浜支店の遠足で行ったことがあります。会社の人達と父と一緒に東横線の反町駅より菊名乗換えで高尾駅に行き、駅から山麓まで行き、全部歩いて山頂まで登りました。

山頂では御汁粉が食べられると励まされて山頂に着いた時には、御汁粉はもう無くなっていました。

この時昭和18年(1943)は戦時中であり、ケーブルカーは電力の節約のために止まっていて、土の道の階段状の山道を登りました。この時期は4月末頃でした。というのは、山道の脇にオキナ草の花が沢山咲いていたのです。白い毛の生えた葉と、下向きに咲く赤い血の色をした花が不気味に感じました。子供の私が山頂に着いたのは一番遅れた組でしたが、会社の大人達が褒めてくれたのを覚えています。

 孫達は小学4年生と1年生、一番下は年長組です。そんな訳で孫3人とその母親2人と家内と私の7人です。電車で高尾駅へと行き、そこから歩き始めて高尾山への昔の登山道の明治41年の碑を見ながら、土の登山道を登りました。
孫達の足は速く、もちろん私が一番ビリでした。曇りの天気でしたが、汗が吹き出して下着が直ぐに濡れてきて、息切れもして大変です。子供達は汗すらかいていませんでした。

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4号路を経て山頂の直ぐ下に2時間半掛かってやっと着きました。芝生の広々とした所にレジャーシートを敷いてお昼ご飯です。子供達はお腹が空いたとオニギリを美味しそうに食べています。

土曜日とあって京王高尾山口から登ってくる人達はぞくぞくと続いています。しかし、私たちが登ってきた山道は殆ど人に会わず、降りの人が数人降りてきただけでした。

食事が済み、今度は山頂へと40mくらい階段を登り山頂へ出ました。そこは人だらけであり、300名から400人もの人達で、広場の土の上にレジャーシートを広げてお昼ご飯を食べています。とても山歩きを楽しむなどという状態ではありません。まるで遊園地か行楽地と言うべき有様です。帰路は1号路の舗装された道を下り、リフトに乗り楽をして降りました。

今回の高尾山は子供達は初めてであり、きっと大きくなっても良く覚えてくれているだろうと、山好きの私は期待しています。


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# by minoru_mogi | 2016-10-23 11:37 | 歩いた山 | Trackback | Comments(0)

 この7月から是非訪れてみたいと考えていた所ですが、7月・8月・9月と体調が優れず、とても回れそうになかったのですが、10月に入りやっと出掛けて行けそうになったので、思いきって出掛けてみました。

三島までは新幹線で行きましたが、駅より湧水地までのバスが30分以上に1本というところでした。柿田川湧水公園に着いたのはすでにお昼であり、時間を節約するために持参したサンドイッチを公園内のベンチで食べて、近くのレストランで食事をする予定を変更して行動することにしました。

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公園内を進んでゆくとハケのような河岸段丘のような斜面から各所に水がこんこんと湧いています。また、池の水面の下からは、勢よく水が吹き上げています。それらが集まった川の中にはバイカモが水面近くまで茂っているのが見えます。

この水の源は富士山の伏流水で、山に雨が降ってから10数年をかけて地中を流れてきて、この地で地上に湧き出ている訳だそうです。水は全く透明でそのまま飲めそうです。湧水の脇には山葵の葉が茂っています。また、川の横にはツリフネソウの紫の花が丁度咲き出していました。ゆっくりと水辺を歩き、早い川の流れを眺めました。

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市の観光地図を見ますと「街中がせせらぎ」とあり、市内には沢山の湧水地が有るのが分ります。大変残念なことに、来る際は駅に降りてバスに乗るまでに、駅の観光案内所が見つからず、地図などを入手することが出来ませんでした。

帰る時にバスを降りる際になって、その案内所を見つけてやっとパンフレットと地図を入手したような訳でした。

そこには、スマートフォンで公園で確かめたグーグルの地図にはない水辺の遊歩道の案内が載っていました。グーグル地図は細かい案内には向いていなかったのです。

今回は少し時間が足りず、広く周れなかった所を、もう一度来年の夏に見に行こうと心に決めました。天候にも恵まれた充実した一日となりました。


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# by minoru_mogi | 2016-10-13 11:15 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 9月末に、家内の田舎である上田市郊外の青木村にある、家内の実家のリンゴ園の手伝いをしてきました。たまたま,今年の秋は雨降りの日が多く、私は4日間働きましたが、その内空が出た日は1日だけであり、あとは雨と曇りばかりで役に立ちませんでした。

その6日間では7人の人達が作業に携わり、本家の夫妻と東京からの息子夫妻、その嫁の弟さん、私と家内の7人でした。


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作業はリンゴの実の周りの日を遮っている葉を10枚くらい手で摘むのです。地上から手の届く所は良いのですが、上の方の実は脚立を立てての作業であり、脚立の移動等もあり、作業は遅々として進みません。リンゴ園には250本程の樹が有り、種類の中心は富士ですが、他に津軽、秋映、信濃ゴールドなどもあります。作業は全くもって能率の悪い手作業です。
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 近くの田んぼからエンジン音が聞こえてきました。丁度、昼食にもどるところでしたのですが、そのコンバインでの稲刈りの作業に足を止めて見学しました。田んぼは縦横60くらいの広さで、1ヘクターアルには欠けるものでしたが、「この田んぼでどの位の時間で刈れますか」とそこに居た指導員とも思える年配者に尋ねたところ、「30分くらいです」との返です。ただしこの機械の運転している人は、145年の経験がある大ベテランだそうです。作業はあまりの速さに驚きでした。もし作業員4人で鎌で刈ったとしたら1日作業でしょう。コンバインは藁は切り刻み、もみは落とされ、パイプで籾袋に入れられます。

この三菱農機のコンバインは5条刈の大型機械であり、村の稲刈りを代行する組合で、同じコンバインを5台有していると言います。この村の田んぼは区画整理をして、田んぼ1枚を大きくしてあり、1アール位が平均です。

午後になるとその機械にで別の田んぼの稲刈りを続けていました。この様な機械化できるものは大いに能率が上がりますが、リンゴの葉摘みは全く非効率です。何とかならないかと思いましたが、無理のようです。

また、来年もこれをやるのかと思うと、気が重くなります。


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# by minoru_mogi | 2016-10-04 19:27 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 今回のこの展示会に大変期待をして見に行ってきました。開催後4日目とあってかなりの混雑をであろうと思い入場したところ、全く予想に反して入場者は少なく驚きました。多分、当日の天気が悪かったことと、平日であったことが原因かと考えられます。

 

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シーボルトはオランダ人でなくドイツ人です。彼は医師の家に生まれ医学、植物学、動物学を学んで医師となりました。そしてオランダ陸軍に入り、先ずジャワに来ました。翌年オランダ商館に1823年、27歳の時に来日したのです。

幕府は長崎出島の外国人がその地を出ることを極力制限しました。しかし幸なことに商館長が江戸の徳川家斉へ参府の表敬訪問することになり、その折に医師として同行する機会に恵まれました。そしてその時には日本人の絵師川原慶賀を同行させて、景色や植物画などを描かせています。

 今回はオランダのアムステルダムとドイツのミュンヘンの博物館から里帰りした、日本の江戸時代後期の品々を300点ほども展示してありました。そこには大きな花鳥図の衝立や、お祭りや普段の衣服、食器、漆器、他の生活用具が多く、私の目を引いたものでは、長さ50センチはあるカツヲ全身の酒宴用の塗りもので、腹が開き蓋物でした。この様なものは江戸時代の人達はユーモアがある人が多かったのでしょう。

彼は日本の品々をオランダに送ろうとしましたが、その中に禁制品の日本地図があり、それが見つかって1827年に国外追放となってしまいました。その頃間宮林蔵が樺太の探検を終えて地図を作り、その写しもありそれも見咎められました。長崎の商館では日本の茶の樹の種をジャワに送りジャワで茶を育成して紅茶となりました。

彼は帰国後オランダとドイツで日本に付いての博物館を作り、多くの日本についての本を発行します。

20年後の幕府の鎖国解放に依り、追放が解けて再び1859年に来日して、18601年間江戸で幕府からヨーロッパ学問を教えることを頼まれました。1861年に帰国して1866年にドイツで没しました。


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# by minoru_mogi | 2016-09-20 19:16 | 随想 | Trackback | Comments(0)

散歩道のコース No634

 私はほぼ毎日夕方5時頃より小一時間、歩数では5000歩くらいの散歩に出かけます。そのコースは毎日必ず変えて何か新しい発見のある可能性のある道を選んでいます。

思い出してみると私は小学校の1年生からこのように学校からの帰り道を毎日変えて帰ってきました。その性癖は大きくなっても変らず、中学校の頃は、生垣に穴を開けて抜けたり、2m近い塀の上を渡ったりと、今考えるととてつもない変なことをしていました。

 現在の私の環境は大変恵まれた第1種住宅地の広い家並みの中にあり、その中には小学校2校と幼稚園2箇所、広い市立公園3箇所、小型の公園6箇所、しかも近くには広いお寺やまだ山林や栗畑も残る土地柄です。

35年前程前には国分寺市府中市との境に住んでおり、40坪の敷地でしたが、家の近くにスーパーの京王ストアや、協和銀行の支店が出来て便利になってきましたが、家の周りにアパートが出来てきて騒がしくなり、環境が悪化してきたので環境第一を考えて八王子に引っ越して来たのでした。

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                文化大学

 先日も散歩に出ると、近くの単科大学が建物の増築をしており、そのクレーンが2基立てられており、何やら高い建物が出来そうで、大変期待しながら近くを歩きます。

また、駅の近くに地味なお寺があるのですが、そのお寺が樹木葬の墓地を新しく作り、近日中に売り出す予定になっています。

 昨日、その地を散歩の途中に立ち寄ってみました。夕刻でしたが若い女性が一人残っており説明してくれました。その環境は従来のお寺の境内であり、周りは林に囲まれ、その景色も奥多摩の山並みが見える大変景色の良い所でした。

 
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風の丘 墓苑

そこには、永代供養一人54万円から、268万円からとあり、購入者に対して芝生の土地が35cm×35cmと、骨壷が入る広さが用意されますが、その上は何の表示もない芝生となるそうです。奥のほうに少しだけ最大8人用という、50cm×50cmという区画もありま
たが、
150万円からとありました。また追葬費が14万円と年会費が7000円とあります。

確かに、今後は夫婦2人だけのお墓で、○○家の墓というのは廃れて行くのかも知れません。この価格には戒名授与、と位牌、埋葬費用も含むとありますので、意外に人気のある霊園となるかも知れません。

「風の丘 樹木葬墓地」とありました。


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# by minoru_mogi | 2016-09-12 14:48 | 随想 | Trackback | Comments(0)

アオマツムシ No633

昨今、銀座通りや新宿などでも、中国からの団体の人々の騒がしさが少し気になることが有ります。同じように、中国から最近来た鳥で、大変騒々しい鳥がいます。「ガビチョウ(蛾媚鳥)」です。この鳥は大きさはヒヨドリより一回り小さくて、群れで居ることは無く、低い潅木の中の枝を伝って移動するようです。そんなわけで姿
を見ることはなかなかありません。

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             ガビチョウ
私の住む八王子では
20年前程より増えており、今は関東地方では当たり前に声を聞くことが出来、福島県でも聞いたと何かの話に書いてありました。一説には、この鳥は声が大きく、なき声も良いのですが、さえずりが長く続き、中国では鳴き声を競わせるようですが、日本の小鳥屋が輸入したが思った程売れず、売れなかった鳥を高尾の森に行き放したそうです。ところがこの環境に良く合ったとみえて、今では大いに繁殖して、高尾の森から関東に広がり、今では福島でも聞ける訳です。

 もう一つ、同じく中国大陸からの虫が大いに広まっています。昨日、夕食を外のレストランで家内と共に食べに行きました。帰路を大きな歩道を夜7時半頃歩いていたところ、道の脇の街路樹から、ジージーと大きな連続音の虫の音が聞こえてきました。

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 アオマツムシ
この切れずに続く虫の音は、周りの葛の中から聞こえる静かな日本の虫の音に比べて格段の騒々しいもので、風情など全くありません。この虫はインターネットで調べてみると、コオロギの仲間で「アオマツムシ」という虫です。中国からの帰化昆虫なのです。

体は意外に小さく34センチくらいで緑色をしています。9月になり少し涼しくなってから、急に夜8時頃に鳴き続けますが、日中は全く鳴いていません。おそらく天敵の鳥などがいないので増え続けてるのでしょう。

 日本の市街地も、野も、思いがけぬ中国からの渡来者に侵略されているようです。


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# by minoru_mogi | 2016-09-05 19:42 | 動物・昆虫・その他 | Trackback | Comments(0)

 現在、世界各地の名所の景色がパソコンのライブカメラの映像で見ることが出来ます。時差があるのでヨーロッパの映像は日本時間では午後からでないと見られません。ヨーロッパだけでなく世界の名所の景色をライヴカメラで見られるのです。

このパソコンの映像を楽しむために、パソコンのディスプレイを現在の17インチの物から、23インチのワイド型に買い換えたいものと考えています。そしてもっと大きな画面で、今はもう体力的に行くことが出来ないスイスの山々の姿を見続けたいと思っています。

スイスの山々を見に8日間の予定で個人旅行で家内と出かけたのはもう15年も前のことです。しかし、そのディスプレイがかなり高価なので購入を躊躇しています。

 

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マッターホルンの景色は、登山鉄道の終点のゴルナグラート(2288m)から山々を360度見ることが出来ます。画像は10分ごとに変わってゆきます。日に依っては雲のかかった日も有り、必ず見えるとは限りません。グリンデルバルト村からのアイガーの北壁も見ることが出来ます。季節ごとに変ってゆき、秋になると早くから雪の付いた北面になります。

日本のそれは上高地の河童橋からの画像もあります。こちらは橋の上を歩いている人が見え、その後に奥穂高岳が普段は見えています。しかし今日は少し晴れの空が見えますが山は見えません。一方スイスのマッターホルンは快晴で山全体が見えて素晴らしい景色です。


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# by minoru_mogi | 2016-08-29 16:29 | 随想 | Trackback | Comments(0)

 昨今、暑い日が続く折は自宅で冷房を27度に設定して、専ら読書をして過ごしています。しかし、それも昔のように2時間も続けて40頁を読めるほど集中が出来なくなりました。

この剣岳の話は、私にとって登る機会はなかった山ですが、25歳の頃5月の連休明けに、単独で立山の山頂の雄山まで、ピッケルとアイゼンで雪の上を登り、その山頂から北に2kmほどに眺めた剣岳の山稜は、なんとも神々しく感動したのを覚えています。

 私がその立山にチャレンジしたのは会社に入社後2年くらいの時で、5月のゴールデンウイークの直後です。このときは単独行であり、24寸のキスリングにスキー、ストック、ピッケル、アイゼンの完全装備で、上野発11:45分発の夜汽車で出かけました。

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富山駅より地方鉄道で立山へ行き、そこからロープウエイで美女平らへと上がり、そこより山上バスで30分ほどで天狗平らまで行きました。5月の山上はバスの背の2倍ほどの雪の壁の中を行き、バスの乗客は終点では私一人であった記憶があります。

天狗平よりは雪の上をあえぎあえぎ室堂まで登ります。室堂からは降りなので、スキーをつけてゆっくりと地獄谷の雷鳥荘に夕方の4時頃に着きました。この宿の熱い温泉を楽しみ、山小屋に泊まっている人々と話が弾みました。

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翌日、立山の主峰雄山へは夏道の一の越を回らずに、雪に覆われた這松の斜面をアイゼンを着けてピッケルを持参して直登して、雄山の山頂の祠に思わぬ早く登れました。雪の山頂では登山者は私一人でした。

この新田次郎の本を読んでいると、昔日の山に対する憧れが蘇り、今は失われてしまった情熱を思いだしました。この話が映画化されたのは2009年のことで、私は直ぐに立川で見ました。その映画がDVDとなり先日近くのブックオフで安い価格で入手出来、再度ゆっくりと鑑賞しました。

しかし、映画では実話とは異なり、脚色がされており少し残念に感じました。それでもその映画の山の姿は、私が歩いた時期と同じであり、苦しさを忘れて楽しい思い出だけが蘇ってきました。



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# by minoru_mogi | 2016-08-19 11:28 | 随想 | Trackback | Comments(0)